記録遺産を守るために 全国歴史資料保存利用機関連絡協議会【全史料協】

資料保存委員会




平成14年度資料保存委員会研修会(1月)
□日時 2003年(平成15年)1月30日(木)
  午前10時〜12時 人と防災未来センター見学 30人参加
  午後1時〜5時 同会議室にて研修会    40人参加
□会場 人と防災未来センター(兵庫県神戸市)
□会次第と記録

挨拶 小松芳郎(資料保存委員会委員長、松本市文書館館長)
  村田昌彦氏(人と防災未来センター事業課長)

  人と防災未来センター概要説明
(要約)2002年4月27日開館、現在までに全国から、また海外からも計22万人の利用あり。国家的プロジェクトとして建 設費に対して二分の一国の補助、残りは県による。第2期も建設中、これは兵庫県のみ。今後人材育成、普及啓発 を進めたい。本日は特に収集活用についての意見がほしい。





全体司会 小川千代子(資料保存委員会・国際資料研究所)

報告1(要旨)奥村弘(神戸大学助教授)
「震災資料の調査・保存・活用−災害についての歴史文化の基礎をどうつくるのか−」


1、震災直後の資料保存の意味
         地元市民が自分たちの体験を記録しようとしたこと。図書館についてはその機能を越えて対応したこと。これほどの規模はは じめてで、今までの災害時などとちがったもの、現代における日本の力を感じる。
2、収集保存活動の展開と困難
  震災資料とは何か、集めてもどのように残すのか、活用はどうするのか。当初そのイメージは明確にはなかったが、取り組む 中で徐々に明らかになっていった。
3、資料調査・収集・保存実践の拡大
(財)21世紀ひょうご創造協会という収集の拠点の核ができた。ここで実践的な事例づくりや聞き取りという活動を開始した。 これらの事業が阪神・淡路記念協会に引き継がれた。
 1)震災の記憶として資料を伝えたいという所蔵者の強い要求
 2)資料は、当事者の聞き取りとともに行われることによって資料価値がます
 3)資料の現地保存を基本として広範なネットワークを
 4)個人情報を含む震災資料を保存していくために収集を優先するより所蔵者と長期的な関係を築くこと
4、緊急地域雇用特別交付金事業として大規模震災資料調査事業を開始、結果16万点を収集した。 これが、人と防災未来センターに引き継がれた。
5、活用のあり方
  個人情報活用のむずかしさと一次資料(原資料)を使う力、加工された資料以前は不要というイメージが日本では多い。基 の資料から組み立て直すという研究のあり方、資料群を分析する能力の重要性など。

報告2(要旨)佐々木和子(関西大学講師)
「兵庫県における震災資料調査事業と今後の課題」


 1996年12月、「21世紀ひょうご創造協会」という兵庫県の外郭団体において資料収集を行うことが決まってから担当した。まず、震 災資料とはなにかというのが一番の問題であった。担当者3人で実際に各地を回りながら考えて、1 今回の地震の実態、2 被害の実 態、3 対応の実態、4 被災者の生活実態、5 復興計画・事業の経過などを示す資料記録類とした。
 また調査地としては、兵庫県の被災地10市10町を範囲とした。震災は大阪の豊中、箕面、吹田市、池田市にもあったが、大阪府は対象 としなかった。まず3人それぞれの土地勘の あるところから始めた。私は地元の芦屋を担当した。
 1997年12月、創造協会が「(財)阪神・淡路大震災記念協会」として設立。その事業を引き継いだ。2000年6月から厚生労働省の緊 急地域雇用交付金事業を活用して兵庫県が大規模震災資料所在調査を行うことになり、業務を「阪神・淡路大震災記念協会」がするこ とになった。採用は最長6か月であり2年間でのべ440人が調査員として従事した。
 その資料の種類については下記のものがあるが、1については対象としなかった。
1 国および被災自治体、救援活動を行った自治体の行政文書・記録類
2 民間団体、民間人の文書記録類
3 大学・各種研究機関などの調査報告文書・記録類
4 刊行された図書・雑誌類
5 新聞・ビデオなど報道機関による報道記録
 また、文書の他にビデオ・映画フィルム・写真などの映像記録、カセットテープなどの 音声記録、電子機器に入力された記録、地図などがある。
 資料の特色として、@一次資料であること、形態が多様であること。つまり、分析加工さ れていない資料であること。ビラ・チラシ、図書、一般刊行物、冊子、壁新聞、CD-ROM、 写真、ビデオその他多様な情報媒体。Aとして多様な収集機関の存在、つまり図書館、地 域史料館、ボランティア団体、行政関連機関ほか。
 調査員には「通常は身近で資料と思わないものも価値があります」といって指導した。 2年間の調査の結果、調査対象22万件余(調査依頼のポスティング件数)、調査実施件数 2万件余(ポスティングに対して調査OKの返事がきたところ)、資料収集先件数3,200件 余、資料点数72,000点(実際の資料点数でなく調査した個票数)(詳細は『地方紙研究』 299号2002年参照)というこれまでにない規模の調査が行われた。
 今回の調査を通してこの震災をふりかえるとき、「一歩踏み越えた」というのが、キー ワードであったというのが私の感想である。市民を始め、図書館も行政もその役目に留ま らず一歩踏み越えて多くのことをなした。

報告3(要旨) 伊藤亜都子(人と防災未来センター震災資料専門員)
「人と防災未来センターにおける震災資料の保存と活用」


1、資料の整理と保存
  震災資料、一次資料16万点、二次資料15,000点を(財)阪神・淡路大震災記念協 会から引き継ぎ、これまでの業務に加えて閲覧までを行っている。今年度新規に40件 調査先があり、二次資料も1,150册収集。
 一次資料については、すべてデータ入力し、キーワードで検索できるようにしてい る。しかし、未整理資料は多い。今後は調査先、資料群の情報や解説を充実させたい。   紙資料、モノ資料、写真資料はすべて、ほぼ同じ保存をしている。中性紙の箱にい れる、中性紙の袋にいれる、形態により、薄葉紙に入れるなど。収蔵庫は2室しかな いので、特にフィルムなどに別の環境を設定することができないのが今後の課題とな る。
2、利用と相談業務
              今年度300件あり。おもな利用は、自治体職員の防災計画の作成や防災研修やイベ ントのための資料収集、教員の防災教育のための教材さがし、生徒・学生のレポート、 卒業論文作成、一般の利用では、自宅周辺の震災時の被災状況や写真資料の閲覧、地 域の活断層しらべ等。また、自分や知人の提供した資料の確認に来ることが多い。市 史編纂課は現代史編纂のために閲覧するが、特別閲覧の手数などがかかる。マスコミは 1月頃になると、報道のために当時のデータなどを見にくる。閲覧対応にいくつもの課題がある。とく にプライバシーや著作権の問題、画像資料の素肖像権の問題などを多く含んでいるが、 前例が少ないため公開の判断が難しい。
3、情報発信と他機関との連携
 インターネットによる資料検索のほか、資料室ニュースの発行や防災ワークショッ プなどを行っている。また、今年度から神戸大学との地域連携事業がスタートした。 センターからは、史料ネット、博物館問題研究会、国立歴史民俗博物館、(財)公害 地域再生センターに情報提供をおこない、また、センターには神戸大学震災文庫、キ ッズプラザ大阪、尼崎市立地域研究資料館、琵琶湖博物館、広島平和記念資料館、長田 区役所震災資料室などから情報提供を受けている。

質 疑

―― 報告者の補足――
伊藤:今日ご出席の資料保存機関で同じ課題を持っているところから教えてほしい。
佐々木:二つの課題がある。一つは、資料の形状の多様さで、CDからビラまである。 ちょうど1995年は情報媒体が出始めたときで、インターネットの発信や交換が始まっ ている。特定の人の間でウエブ、チャット上の情報交換が行われていたが、その保存 には対応できなかった。また、写真は預かって借用し複写、スキャンしたものが12万 枚、CD-ROMでもらったもの、データでもらったものなどがある。そのうちマックは 開けなかったし、ワープロでもらったデータで開けなかったもの、FDでもらったもの もある。いくつかは電子情報として残している。今後どうなっていくか、バックアッ プできるかなどが課題。二つめは、現物か複写かがわかりにくい ということ。ワープロで打たれたものは何度も複写を重ねているので、原本の重みと いっても意味がない。また、地図にマーカーの印がついているものはそのマーカーが 意味があるのだが、だんだん薄くなっていく。また、現秩序の問題はどこまで厳密に 守れるか。
奥村:公文書について言い残した。公文書と民間の資料の二つが絡まってはじめて資料 として意味がある。兵庫県では収集しているが、今後の活用が必要となる。自治体で は市町村史として公文書も使っていくという事例を示していくことが必要である。
  もう一つは、被災地では調査公害が起こっているということ。何度も研究者の調査 が入り、そのときの調査原票は、論文が出来ると捨ててしまう。台帳なども残らない。 大学も資料は残しているかどうか。今後は研究者が基本的な資料は残すというサービ スが必要である。また研究の方法にも問題がある。
小川:以前に近畿部会で防災関係のイベントをした時に、文化庁の田良島氏が「災害文 化」という言葉を使用した。災害に対してどういう対応をしていくか、対応方法論は 一つの文化である。記録を取っておこうとする市民の動きも災害文化の現れではない か。今回、人と防災未来センターで記録をどう残すかはその地域の人、その国の文化 であると思う。

―― 整理の方法 ――
田村(同志社大学人文研、社史室):資料の番号はどのようにしてつけているのか。
佐々木:調査した順番に調査番号をあたえ、その中を通し番号をつける。調査は地域を 6グループごとに調査先番号を与えている。調査ができなかったときでも全部ひとつの 番号で管理する。分類はしない。件名目録の6けた数字は、前3けたは箱番号あとは 通し番号。
田村:番号をみて組織や作成者、付帯情報がわかる番号ではないのか。
伊藤:番号からはわからないが、16万点についてはすべて入力がすんでいるのでキーワ ードで検索できるようになっている。

―― 公文書との関係 ――
小松:奥村さんは公文書の問題について提起されたし、佐々木さんは『地方史研究』に も書かれているように(阪神・淡路記念協会での収集)では行政文書は扱わない、自 治体がやることと言われている。ここに人と防災未来センターという国と県とがつく っている施設ができたのだから、これからは公文書との関わり合いが必要となってく る。10市10町(兵庫県の被災自治体)がそれぞれ保存整理「完結した文書は残し、そ れ以外は廃棄される」(佐々木)。このセンターがどのようにリンクしていくか呼び かけていくかが課題。他機関との連絡「人と防災未来センターへ、人と防災未来セン ターから」と伊藤さんがいっているようにネットワークが必要。10市10町も入れなが らリンクしていけば市に残っているものも引っかかってくるのではないか。それぞれ 自治体の役目かと思う。
小川:西宮市と兵庫県では震災の公文書をどう扱っているか。
増原(西宮市):一番悩んでいるところ。「西宮現代史」では三分の一が震災記録で ある。
吉住(澄?)(兵庫県):県政資料室という県のアーカイブを扱う一応の枠組はある。 実際には県庁で平成7、8年に関係文書を集めるという通知文をだしたが、「渡せな い」という部局もあってうまくいかなかった。何かに絞って集めないとむずかしい。 そこで、県の公文書で収受文書も含めて震災の「シ」の字があったら集めるという ことで、7,600点の公文書が集まっている。そのため書庫が狭くなって、そのうち公開 できるものは184点(40分の1)である。主に個人情報がネックとなっている。
奥村:史料ネットと「ひょうご創造協会」の話し合いで10市10町の担当が2回集まった。 淡路島だけは担当者が流動的なため入っていないが、ほかは参加した。西宮市の行政 資料室は「禁帯出」というシールを貼るという方法、また、ファイルを配る、袋をつ くるなどちょっとした工夫で集まることもある。
芝村(桃山学院大):公文書との関係は大切である。ネットワークが必要であるが、そ の実現は難しい。なぜうまくいかないかというと、近畿ではもともと公文書館のある ところが少ない。そこに震災文書のみをピックアップすることに無理がある。人と防 災未来センターはそこにある資料だけで機能するのでなく、リンクすることが必要で、 その点が今後の課題である。私の関係している箕面市では震災関連文書を特別収集保 存するようにしている。内容をみると特に震災直後の初期の段階の公文書には重要な ものが多く、今も原課にあるものがある。

―― 学校・企業の文書 ――
西口(桃山学院年史室):1995年に大学が移転してたくさんの文書と研究室の資料もあ る。移転のための文書も多く発生した。その後それらの資料をすべて整理し報告を済 ませた。移転という事業結果の報告ということになる。
高橋(元阪急電鉄資料室):本日、人と防災未来センターを見学して閲覧室を見たが、 企業の出したものは少なかった。一部編集して完成した本はあったが、このような本 には企業はいいことしか書かない。震災のとき電鉄会社や交通局ではライフラインに かかわることは広報、ニュースとして発行していた。震災のその日から出していたと 記憶する。今ならこのような刊行物は広報室や総務部にいえばまだ持っていると思う。 他の企業も同様と思うので、集めてはどうか。関係するところのものなら私は持って いる。ところで、なぜ人と防災未来センターでは7階に収蔵庫をつくったのか。
村田:具体的には知らないが、利用勝手からであろう。利用者向けに下の階を使ったの で、出入りの少ない収蔵庫は上になったと思う。
佐々木:学校関係でいえば、小・中・高と教育委員会の調査を実施した。避難所の資料 は出やすい。また防災教育の資料もよく出た。しかし、そのときそのときの学校自身 の対応(に関する資料)は出て来にくい。避難所となった学校では、先生が転勤にな ると(避難諸関係の)1箱を置いていくものの中に学校対応文書が残っている場合が ある。調査に回ったとき(私が)高校勤務していた学校はどうなっているかをみた。 学校内部の資料は対応はまちまちである。建物がつぶれたところ、つぶれていないと ころ、避難所になったところ、なっていないところ、それぞれにご苦労がある。内部 資料は出ない。学校日誌には、避難所になったため先生の寝泊まり勤務の対応の記録 があるものもあるが、いざ出すとなると教育委員会の顔色を見る、資料として認めな いなどとなる。私も教員だったので、やめる前にそれまでもらった資料はすべて捨て ました。思い出したくないという気持ちであった。

―― 情報とリンク ――
松本(記録・史料管理研究所):自治体では努力しているが収集は難しいとのことだっ た。震災関係を集めることはできないが、データのみの収集は価値がある。県・市で は情報公開のために目録整理をしていてデータ入力している。そこから震災の目録を 引っぱり出し(非公開もある)各市のデータとして収集することはできる。
小川:所在情報を集中するという提案である。
伊藤:そう思う。全地域に精通しているわけではない。情報を集中・共有させるのは好 ましい方向である。

―― 選別基準など ――
(記録管理学会副会長):収集した資料を選別した時その基準は何か。また、震災関連 で歴史的建物を失って復元するということはあったか、昔の建物に関する資料を集め るという動きはあったか。
佐々木:選別基準はない。「捨てるものは何もありません。ゴミも」と調査員にもそう 指導した。選別はむずかしい。従って資料は玉石混淆である。その判断は少し寝かし てからの方がよい。
奥村:古い町並みや空間、それを残す考えは当時はあったが実を結ばなかった。いくつ かは残されたが、景観を残すことはできなかった。旧村が多く、旧家も多かったので、 壊れた家が多かったが、それらは復興はできずツーバイフォーの家となった。体系的 に文化とすることはできなかった。全体の歴史的景観を考えるべきというのが、今後 の課題である。
尾立(京都造形芸術大):私は絵画修復が専門であるが、震災直後、建築のひとといっ しょに行動した。その当時調査したものは日本建築学会として膨大な資料が残ってい るはずだし、出版物もある。歴史的建物についての助言などもある。当時即席にでき た、洋館などの保存を目的とする会では、自力で募金する、それ以外に方法はなかっ た。神戸市のものは観光の目玉であり、復元し資料ものこっている。

―― 閉会の辞に代えて――
庄谷(大阪市公文書館、近畿部会会長):奥村さんからは、原資料への認識につい て教えられた。私も、統計書の印刷物を原資料と考えていた一人である。震災資料は 個人資料の固まりで、公文書もまたそうであるため、見せない方向へ行っている。課 題と思う。佐々木さんからは、厚生労働省の費用を使って行った調査ということ。他 の自治体ではこれを使っていろんな事業をしている。失業率の統計数字を減らすこと が目的であった。にもかかわらずこのような大きな仕事をなさったことに感銘を受け る、敬意を表します。伊藤さんからは資料説明、分類の仕方、データベースの共通把 握など今後の課題が多いことがわかった。芝村さんは震災資料を調査しているといわ れた。私も実際に調べてみたい。テーマを絞って各自治体が協力しあいたい。(大阪 市の)消防局や労組が神戸に応援にいった。これらが冊子になっている。京阪神各都市 が被災地に行った記録があるはずである。個人情報は気になるが、たとえば介護保険 は2000年4月スタートし、一人一人のファイルがあるから地方自治体の公文書ファイ ルは多くなった。まるまる残すか、廃棄すべきかどうか、30年凍結して保存するなど の方法が必要と考える。(記録 大西愛)



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