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The Japan Society of Archives Institutions Kinki District Branch Bulletin
全史料協近畿部会会報デジタル版
No.69
2019.10.17 ONLINE ISSN 2433-3204

第152回例会報告

 

2019年(令和元)8月31日(土)
 会場:滋賀県庁北新館3階中会議室

学校資料の未来を考える-『近代滋賀の教育人物史』編纂を振り返って-

大月 英雄(近畿部会運営委員)

 本例会は、滋賀県を事例として、学校資料の保存・活用に関する課題を探ることを目的に掲げて開催した。今回の企画は、2018年6月に大学教員や小・中・高校教員、元図書館職員などで構成される滋賀県教育史研究会によって、『近代滋賀の教育人物史』(以下、『人物史』)が出版されたことがきっかけである。
 同書は、県の行政文書(歴史的文書)や、栗東歴史民俗博物館の「里内文庫」、個人・学校に残された様々な史料をもとに、人物の視点でまとめられた教育史となっている。滋賀県は、県教育委員会などが編集主体となった『○○県教育史』を唯一もたない県といわれており、大変貴重な成果といえる。その一方で、同書編纂の過程では、学校の増改築や統廃合、市町村合併などを機に失われていく学校資料の現状に、強い危機感を覚えられたという。近年「学校資料」は、アーカイブズ界を中心に関心を集めつつあるテーマだが、全史料協近畿部会としては、これまで十分に取り組めてこなかった。そこで本会では、『人物史』編纂に携わられた宮坂・久保田両氏に報告を依頼し、まずは現状を把握することから始めることとした。
 当日の進行は、宮坂氏に教育史研究者の立場から、久保田氏に学校資料の管理者の立場からご報告いただき、和崎氏には今年3月に『学校資料活用ハンドブック』をまとめられた知見から、コメントいただいた。以下はその要旨である。
宮坂朋幸「滋賀県内学校関係資料の現状と課題―『近代滋賀の教育人物史』編纂を振り返って―」

宮坂朋幸氏の報告

 『人物史』編纂の主体となった滋賀県教育史研究会は、1997年に木全清博氏(滋賀大学教育学部教授)や稲垣忠彦氏(同前)らが創立した団体である(肩書きは当時のもの)。ただし、しばらくして活動が休止状態になっていたため、2008年から宮坂(滋賀文化短期大学講師)と久保田重幸氏(滋賀県教育委員会)が再興を決意。2009年3月、現体制による第1回研究会が開催される運びとなった。
 同会では、約2か月に1回のペースで例会を行い、同書出版直前には57回におよんだ。本書の出版に至ったのは、滋賀県にはこれまでの教育史研究がほとんど手をつけていない史料が豊富にあるにも関わらず、全国で唯一、同県だけ『○○県教育史』が編纂されていないという危機感からである。『人物史』では、近代以降に滋賀県教育を築いてきた人びとの事績を県内外に残る史料に基づいて紹介することを目的に掲げ、扱う地域が偏らないよう、できるだけ県内全域にわたる人選を心がけた。大学教員や小・中・高校教員、元図書館職員などで構成されるメンバーのうち、29名(うち女性6名)が執筆に加わっている。丁寧にルビを付し、写真や図表を多用するなど、小学校5年生以上でも読めるように工夫した。
 『人物史』編纂には、@自治体史・学校沿革史、A行政文書・新聞等、B写真、C『滋賀県教育会雑誌』などを主な史料として用いた。
 @の学校沿革史は、校長室などに保管されている学校が多いが、以前は閲覧できたものも、教員の異動などで所在がわからなくなることもあった。その点、滋賀大学附属図書館教育学部分館には、木全氏が地道に集めた複写物が保管されており、大変有用である。
 Aのうち、県の行政文書は県政史料室で閲覧できる。近年、目録のweb公開やメールでの閲覧申請が可能となり、かなり利用しやすくなっている。「小学開校」通知の布令では、各小学校の開校日をほぼ確定でき、履歴書や転任申請書で、当時の教員の異動頻度や理由が把握できる。『滋賀新聞』や『琵琶湖新聞』など、明治初期の新聞(複製版)は、県立図書館で閲覧できるが、複写物の文字が小さく読みづらいのが難点である。
 Cの『教育会雑誌』は、多くの章で利用した重要なものだが、1953年に教育会館が火災に遭った際、県内保管分が焼失している。現在は早稲田大学や筑波大学など県外機関を利用するしか、全てを閲覧できない状態にあり、デジタル化などの措置が必要だろう。
 今後は、県内の学校資料の悉皆調査を進めていく必要がある。まずは明治期に創設されたと思われる学校を選定し、学校沿革史・文書などの所蔵状況や、それらを保管する特別な部屋の有無について確認していく。研究会の活動を積極的に発信していくことによって、滋賀県の教育史関係の史料が自然とこの会に集まってくるような体制にしていきたい。
久保田重幸「学校現場からみた「学校資料」の利活用について」

久保田重幸氏の報告

 今回の例会テーマの「学校資料」というキーワードであるが、学校現場では該当する言葉が存在しない。文部科学省や教育委員会が作成した文書のなかにも見当たらず、どのようなものが学校資料にあたるのか、全く合意のない状況にある。
 法令等で定められた法定帳簿のうち、永年保存とされているのは、「卒業証書授与台帳」「学校沿革誌」「旧職員履歴書綴」「理科設備台帳、特殊学級新設設備台帳」の4点のみとなっている。教育史研究で重視される「学校日誌」(5年保存)を含め、それ以外は保存年限が過ぎれば、廃棄される有期限文書である。現在の学校に、古い資料がほとんど残されていないのは当然といえ、全ての資料を残すことができない以上、どのようなものを学校資料として後世に残す必要があるのか、きちんと定義していかなければならない。
 そもそも、現在の学校現場は多忙を極めている。文部科学省の2016年度調査によれば、1週間当たりの教諭の勤務時間は、小学校が55〜60時間、中学校が60〜65時間の者が占める割合が最も高い。教員の「善意」に任せるだけでは、限界があるだろう。そのため、自治体や地域ボランティア、同窓会等との連携は欠かせない。例えば、県立彦根東高校では、同窓会組織「金亀会」の手で、学校資料の「デジタル史料館」を管理・運営している。県内有数の伝統校だからこその取り組みでもあるが、学ぶべき点はたくさんある。
 一方、学校資料は確かに重要だが、それのみが地域資料であるわけではない。滋賀県にある彦根市立東中学校では、彦根城博物館が所蔵する『彦根藩井伊家文書』を用いて、「開国について考えよう―大老・井伊直弼の決断に迫る―」という授業実践が行われている。学校現場で、地域に残された様々な資料の利活用を進めていくことは、迂遠なようだが、学校資料を含めた地域資料の重要性をアピールすることにつながるのではないか。
 学校資料を通じた研究者と学校現場との交流をもっと進めていただきたい。私は現場の教員だが、研究会を通じた研究者との交流によって、大きな刺激を受けてきた。学芸員や研究者などからの積極的な働きかけを学校現場は歓迎している。今回の例会のような場も含めて、両者の交流機会が今後もっと増えていくことを期待したい。
和崎光太郎「宮坂報告・久保田報告へのコメント」

和崎光太郎氏のコメント

 『人物史』を手に取ると、用いられている資料の幅広さに驚かされる。学校資料を扱う博物館施設が存在しないのに、よくこれだけ残っていたものである。各現場での努力の積み重ねによるものであり、それを集積したのが本書の非常に大きな成果の1つであろう。さらに、『地方教育通史一覧』に掲載されていない文献も含めて、目録化が進みつつある点も重要である。
 今後、学校資料の収集・保存を進めるには、それらを進展させるための戦略的な「活用」が肝と考えている。特に普段は学校資料と関わりのない人に、展示や講演会、読み物などを通じて、その「価値」を発信することが重要だろう。既に大津市歴史博物館では、学校の資料調査を実施しており、目録カードも作成している。京都新聞滋賀版や、サンライズ出版など「地域の雄」との連携も欠かせない。
 大学教員はポストが減る一方、仕事は増える一方である。学校教員も多忙化のため、かつてのような郷土史の担い手はいなくなってしまった。学芸員やアーキビストは、仕事とつながれば身動きがとりやすいが、そうでない場合は難しい。現状では、退職した地域の「知識人」が、担い手として最も有望ではないか。
 県の教育史は、あったとしても1970年代から90年代にかけて刊行されたものがほとんどである。つまり、そろそろ続編が必要だが、予算面や人材不足、資料の散逸などのため、現実的にはその編纂はかなりの困難が予想される。滋賀県は、県の教育史がない一方で、本研究会というすばらしい実践活動とのその成果がある。つまり見方を変えれば(=過去ではなく未来を見れば)、先進地であり他府県のモデルにもなりうるのではないか。

参加記

第152回例会「学校資料の未来を考える」に参加して

烏野 茂治(近江八幡市総合政策部文化観光課)

 令和元年8月31日、滋賀県庁北新館3階中会議室にて、全史料協近畿部会第152回例会「学校資料を考える ―『近代滋賀の教育人物史』編纂を振り返って―」が開催された。
 『近代滋賀の教育人物史』(以下、『人物史』)とは、平成30年6月に、滋賀県の出版社であるサンライズ出版から刊行された、明治初期から昭和戦前期までを対象に滋賀県内で地域の教育のために尽力した多様な人物を取り上げた良書である。滋賀県は、全国で唯一『教育史』を刊行していない都道府県であることから、報告者2名を含む滋賀県教育史研究会(以下、「研究会」)のメンバーが勉強会を重ね、同書を上梓している。
 大阪商業大学准教授の宮坂朋幸氏は、「滋賀県内学校関係資料の現状と課題 −『近代滋賀の教育人物史』編纂を振り返って−」と題し、『人物史』編纂の経緯、『人物史』及び個人の論文執筆で参考とした資料とその所在状況、今後の課題についてお話しされた。滋賀県愛荘町立愛知中学校教頭の久保田重幸氏は、「学校現場からみた「学校資料」の利活用について」とし、『人物史』執筆者でありつつ学校現場を預かる立場から、「学校資料」の定義や、「学校資料」の保存・管理の課題を提示しつつ、学校と関連機関(自治体文化財担当・市史編纂担当、博物館等)との連携による「学校資料」の利活用事例を紹介し、「学校資料の利活用ガイドライン」の必要性や、「学校資料」を通じた学校現場と研究者・学芸員等との交流による保存・利活用の可能性について言及した。
 休憩をはさみ、浜松学院大学短期大学部講師で京都市学校歴史博物館顧問(元同館学芸員)の和崎光太郎氏から、両氏の報告に対するコメントがあった。和崎氏は、「学校資料」を学校に所蔵・所在する資料だけでなく、「学校に関するあらゆる資料」と定義し、『人物史』で用いられている資料の幅広さ(学校所蔵資料のほか、滋賀県庁文書、新聞、関連機関(博物館等)所蔵資料、個人資料)と、これら滋賀県の学校資料の現状(残存状況が良好であること)が「研究会」で可視化(目録化)していることを評価した。そのうえで、既刊の都道府県教育史は1970〜90年代刊行で、続編の編纂・刊行が(人員・財政上等から)厳しいと考えられることから、未来志向の視点から「研究会」による『人物史』編纂の実践により、滋賀県を学校史・教育史の先進地と位置付けることができ、他府県のモデルにもなりうるのではとコメントされた。
 さて、和崎氏が評価した参考資料の多様さ・豊富さの部分について、宮坂氏は、「研究会」の編集作業の過程のみで蓄積されたものではなく、同会のメンバーで、『人物史』編集担当者である木全清博氏(滋賀大学教育学部名誉教授)の業績に寄与する部分が大きいことを補足している。その業績とは『滋賀県教育史資料』1〜10号(滋賀大学教育学部社会科教育研究室、1992〜2000)である。木全氏が滋賀大学教育学部在任時代、滋賀県で教育実践の基本的資料の収集・整理・分析が行われていないことから、地道に滋賀県内を回り学校・博物館・個人所蔵などに所蔵されている教育史関係資料を目録化したもので、我々滋賀県内で自治体史に従事するものにとっても、教育史部分の編纂においては、資料の所在確認も含め必ず参考にしている。この成果と、学校をはじめとする管理側の良識によって、滋賀県内の学校資料・教育資料が守られてきたと考えても過言ではなかろう。そのなかで、平成20年から開設された県政史料室により、『人物史』編纂における滋賀県庁文書の充実度が増していることがわかる。また、県内学校沿革誌の所在確認のち密さは、いわゆる平成の大合併により、平成13年ごろから始められた県内各市町での自治体史編纂事業との関係性も高いと考えられる。
 しかし、各市町の自治体史編纂事業は大半が終了し、県政史料室のようなアーカイブ施設に移行したところは無い。すなわち、『滋賀県教育史資料』のため木全氏が調査した当時と状況がさほど変わっていないとも言える。滋賀県でこのような充実した分野史が、公的事業でなく刊行されたことに感慨深さはあるものの、市町の状況は発展的に進んだ状況ではない。さらに久保田報告でもあったように、人的部分(教員の多忙化や働き方改革)や、施設面(耐問題による校舎の建て替え等)においても、現在学校資料を保存・維持していく環境は厳しくなっている。
 本報告は、「学校資料」という広義な対象での報告であったが、地域の資料を地域で残すことを改めて考えさせられる機会であった。浅学ゆえ知見の範囲による歴史的文書に限定した雑感・意見となってしまったことをお許しいただきたい。

報告・コメント後の質疑応答

近畿部会第152回例会「学校資料の未来を考える」参加記

一色 範子(佛教大学教育学部生)

 筆者は2019年8月31日、滋賀県庁北新館にて行われた、近畿部会第152回例会「学校資料の未来を考える―『近代滋賀の教育人物史』編纂を振り返って―」に参加した。以下、その感想を記す。
 質疑応答では、学校資料について、何を・どれくらい・どこまで残せば良いか、といった基準を設けることの是非や、県が決めたガイドラインはその後どうなるのかといった、久保田氏の提案したガイドラインを中心に議論が展開した。参加者は博物館や図書館、文書館など、学校現場と少なからず関わりのある者が多く、それぞれの経験上の疑問や関心からみた学校資料について、今後何ができるかを考える場となったように思う。学校資料の取扱いについては、学校現場の裁量によるところが大きいものの、迷ったらまず、専門家に相談することが大事である旨が共有された。
 筆者は、学校資料の教材化について研究しており、学校資料をめぐる保存と活用には関心がある。そこで、学校現場における学校資料の活用について、筆者もいくつか質問を行った。1つは、次のようなものである。学校資料の活用には、「目的的活用」と「手段的活用」の2つの活用があると筆者は考えている。前者は、学校資料そのものがもつ様々な価値を高めるために活用することであり、後者は子どもたちの学習のためのツールとして活用することである。この2つの用途を組み合わせることにより、学校資料を活用するメリットは多くなると考えるがどう思うか、という内容である。
 そしてもう1つの質問は、学校現場において、学校資料を意識的・積極的に活用していくためにはどうしたら良いか、という内容である。このような2つの質問に対し、久保田氏から回答を得た。1つめの質問における学校資料の「目的的活用」については、地域の資料館などの領分であること、また2つめの質問については、例えば社会科部会などで情報交換したり、地域の資料館のスタッフなど交流したりすることが挙げられた。これらの回答を受けて、教員間もさることながら、教員と学芸員ら専門家との積極的な情報交換が、今後の学校資料のあり方を考えるうえで重要な鍵となることが分かった。
 本例会に参加し、改めて学校資料に関する研究成果を学校や地域に還元していくことの大切さと、学校資料のもつ価値を発信し続けていくことの大切さに気づかされた。一方で、情報化社会において、今後、紙媒体だけではなく、電子媒体としての学校資料の取扱いも検討する必要があると感じた。普段学校と関わりのない者からすれば、学校にどのような資料がどれくらい存在するか、機会と関心がないとその実態をうかがい知ることはできない。また、学校では日々様々な資料が生成されている。このような膨大な学校資料について、例えば現役教員や様々な分野の専門家、そして地域の人々らと、どう活かすかといった積極的な議論を重ねることもまた、「学校資料の未来を考える」ことにつながると筆者は考える。