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 The Japan Society of Archives Institutions Kinki District Branch Bulletin
 全史料協近畿部会会報デジタル版
 No.67  2019.4.9 ONLINE ISSN 2433-3204
 第150回例会報告
2019年(平成31)3月8日(金)
会場:京都府立京都学・歴彩館


近代日本の文書管理からアーカイブズを探る

 記念すべき第150回例会は2019年3月8日(金)京都府立京都学・歴彩館で開催されました。テーマは「近代日本の文書管理からアーカイブズを探る」で、参加者は37名でした。司会は運営委員の井口先生が担当されました。
 報告者は、学習院大学非常勤講師の渡邉佳子さんで、「日本における文書管理とアーカイブズへの認識−戦前期の統治機構に視点をあてて−」でした。また、コメンテイターとして、京都府立大学文学部歴史学科教授の小林啓治先生から、 「戦前府県文書を活用した日本近現代史研究の視点から」と題してコメントをいただきました。
 全史料協近畿部会第150回例会 会場から(京都府立京都学・歴彩館)
  第150回例会 会場から(京都府立京都学・歴彩館)

 まず、今回の報告者である渡邊さんは、京都府の行政事務に従事された後、旧京都府立総合資料館(現京都府立京都学・歴彩館)でアーカイブズに関わり、情報公開制度・個人情報保護条例と公文書館機能との整合について、関係部署と協議を重ねるという実務に従事されました。退職後、学習院大学大学院アーカイブズ学専攻で学ばれ、2017年10月に博士(アーカイブズ学)の学位を取得されました。今回の報告は、この学位論文をベースに、日本の近代における文書管理について、アーカイブズの観点もいれながら、報告していただきました。大学での講義のようになるか心配しましたが、杞憂に終わりました。近代日本の文書管理においてどの程度にアーカイブズの認識があったかを織り交ぜて報告されたためで、参加者の関心に即した報告になりました。渡邊さんの配慮に感謝を表したいと思った次第です。

 なぜアーカイブズ学の門を叩いたか
 本題に入る前に、渡邊さんは、退職後なぜアーカイブズ学の門を改めて叩いたのかを人からよくきかれましたが、公文書の保存について担当部署との協議で、なぜ行政文書を残すのかを十分に納得させることができなかったという忸怩たる思いがあって、アーカイブズ学に基づく根拠を探ってみたかったと心の内を明かされました。

 アーカイブズの定義
 次に、アーカイブズについての定義をしておく必要があるとして、3点をあげられました。
 (1)組織や個人が、その活動の中で作成又は収受した文書の内、様々な利用の価値を有することにより永続的に保存される資料。
 (2)永続的な価値を有する文書を保存し、組織や個人の活動に資するために公開するするシステム。
 (3)永続的な価値を有する文書を公開する施設。

 全史料協近畿部会第150回例会 パワーポイントを使って熱弁する渡邉佳子さん
  パワーポイントを使って熱弁する渡邉佳子さん

近代日本の統治機関と文書管理
 それから本題にはいり、明治初年からの約80年間の近代日本の統治過程は、三職制→太政官制→内閣制と変遷しますが、それぞれの制度における文書管理についての分析がなされました。
 三職制(太政官代)の時期は、1867年12月から1868年閏4月のほぼ半年の期間で、維新の偉業を後世に伝えるための沿革を残すことと、統治者の正当性の根拠を残すことが課題であった時期。
 次の太政官制の時代は、三職制が廃止された1968年閏4月から太政官正院が廃止される1885年12月までで、行政機関の拡大に伴い、文書量の増大をもたらし、文書の類別や区分、保存年数の設定が検討された時期。
 そして、第3期が1885年12月、太政官制度が廃止、内閣制が創設される以降の時期で、内閣と各省庁に記録局が設置、各省官制通則も制定され、文書管理制度が整えられていったということです。現在の公文書管理・保存の原型がこのとき成立したのであろう。

アーカイブズの機能からみた文書管理
 こうした日本の行政組織の変革に伴う文書管理を、アーカイブズの視点から整理しますと、次の通りになります。小林先生の解説図を参考にします。
 近世では「統治の合理性」・「統治の円滑制」の段階であったのが、維新期は「統治の正当性」にまで達しました。しかし、1893年の内閣記録局の廃止で、後退することになったといいます。なお、アメリカへの視察でアーカイブズを知った伊藤博文は、「国民へ説明責任」へと視野を広げていましたが、定着しませんでした。つまり、近代日本のアーカイブズ機能は、為政者に国民へ説明責任の認識はなく、まして国民の閲覧する権利を認めるなど、想像外のことであったのです。

 アーカイブズの有用性とは?
          主体は国家
 統治の合理性 統治の円滑制 統治の正当性 国民へ説明責任 国民の閲覧する権利
 ―――――――――→(近世)
 ―――――――――――――――――→(維新期)
 ――――――――――――――――――――→(伊藤博文)
 ――――――――――――――→(記録局廃止以降/近代天皇正制の確立?)

 こうした変遷に伴う文書管理に関する方針の綿密なる論証については、ここでは立ち入りませんが、披露された興味ある点が3点ありました。
(1)1886年制定の『公文式』によって、太政官制下での布告・布達・達の形式が廃止され、法律・勅令・閣令・省令といった法令体系が創設されました。これは、ある面では旧幕時代に溯る触書の形式が廃止されたことを意味します。
(2)伊藤博文がアメリカでの視察を通じて、書庫に書類を保存して後世に残し、国民の説明責任を果たすというアーカイブズの認識を持ち返ったのに対して、内閣記録局にいた小野正弘のアーカイブズ的な取り組みの発想がどこから来ているのか、その学問的背景は十分には明らかにされませんでした。小野正弘とは、各省の記録目録や記録編纂方法、廃棄文書等の調査を行い、積極的な業務を展開しようとした人物です。
(3)1873年内務省が設置され、その2か月後に、全国記録保存の方針がたてられ、全官衙の公文書類、土蔵に保存、副本の作成、目録の作成が案として出されましたが、最終的には目録の提出のみになったのですが、その目録がいくつかの府県に残っていると紹介されました。不十分ながら国だけでなく、地方、この場合府県が視野に入っていたといえます。
 
 全史料協近畿部会第150回例会 渡邉報告にコメントする小林啓治先生
  渡邉報告にコメントする小林啓治先生

小林先生のコメント
 次に渡邊さんの報告について、小林先生のコメントがありました。小林先生は、京都府行政文書の研究や京丹後市にある近代行政文書を使って、研究をされています。小林先生は、渡邊さんの学位論文を事前に読まれ、以下の4点にまとめられ、評価されました。
(1)日本近代国家がアーカイブズ制度を実現しえなかったことを、実態に即して実証的・精緻に解明。
(2)大きな課題を残しつつも、文書管理の枠組みは現在まで実施されており、近代的アーカイブズの前提条件をなしている。
(3)実現はしなかったものの、小野正弘のようにアーカイブズの重要性を認識した事例もあったこと(近代アーカイブズ導入の萌芽として評価)
(4)戦時体制下の文書管理を政府の施策と関連させ、合法的な廃棄、疎開、焼却による文書の喪失を具体的に検証、非常事態の中でも法令に基づく廃棄や文書の削減が行われ、その意味では文書行政を中心とした官僚制システムが作動していたこと、文書疎開は現場の機関や担当者の尽力に負うところが大であり、戦後の資料保存運動につながると指摘。

 小林先生の的確なまとめは、渡邊さんの報告の理解に役だっただけでなく、一層の理解を深めるものでした。
 また、日本に近代的アーカイブズが整備されなかった原因について、渡邊さんは報告の中では述べられませんでしたが、学位論文では論述されていて、会員みなさんの興味ひかれる点と思われますので、これも小林先生のレジメから引用させていただきます。
 (1)天皇を頂点とした日本古来の統治構造と西欧の立憲君主制を融合した統治構造が形成されたこと。
 (2)稟議制をとる官僚制によって行政目的を終えた文書については関心の外にあったこと。
 (3)官学アカデミズムは幕末までを学問領域とし、統治機構が作成する文書に対して歴史的視点が注がれなかったこと。
 (4)記録管理の専門家養成の必要が認識されなかったこと。
 この指摘が、日本アーカイブズ史においてどう評価されるか、浅学の私にはその当否は判断しかねますが、この4点が互いに関連しながら、渡邊さんがアーカイブズの定義の一つにあげられた「永続的な価値を有する文書を公開する施設」の設置が実現できなかったことに繋がるような気がしました。

 近代以前の文書の評価
 小林先生があげられた疑問の一つに、「近代以前の、文書にもとづく行政・統治の手段としての文書・文書管理をどう評価するか」の問題です。これは、小林先生の問題提起に終わってしまいましたが、日本における古文書の存在を、どうアーカイブズに位置づけるのかに関わっている大きな問題だと改めて認識した次第です。
 最後に、課題として、小林先生は、富山県東砺波郡庄下村の兵事係を務めた出分重信氏が軍の廃棄命令に抗い動員関係の軍歴資料を保存した実例をあげて(黒田俊雄編『村と戦争』)、市町村におけるアーカイブズの可能性を示唆されました。『それは私が残したというよりも、「残さねば何もわからんようになるぞ」という目に見えない戦没者、明治以来の参戦死亡者、参戦者の叫び声が聞こえてくるような気がしたからです』との証言に、「国家命令によって作成された文書が国家命令によって廃棄されることへの抵抗」と、小林先生は評価されています。

 以上、生半可な理解で、渡邊さんの論旨を誤って整理するのは憚られましたので、小林先生のレジメを引用することで、報告の責務を果たさせていただきました。
記念すべき第150回の例会が、近畿部会を育て、育てられた会員の一人である渡邊さんの報告によって、飾られたことは大いに喜びたいと思います。
 なお、渡邊さんの論文はこの秋に出版予定とのこと、楽しみです。
会場を提供し、プロジェクターの機材を貸与していただきました京都府立歴彩館・京都学のみなさんにお礼申し上げます。。
  (和田 義久 全史料協近畿部会運営委員)   
 
参加記
日本の近代国家における文書管理とアーカイブズへの認識の報告を聞いて
   正垣 朝代(枚方市教育委員会社会教育部文化財課)

 平成31年3月8日(金)、京都府立京都学・歴彩館小ホールにおいて、「近代日本の文書管理からアーカイブズを探る」をテーマに近畿部会第150回例会が開催されました。私は昨年度から枚方市市史資料室の事務を担当しておりますが、これまでアーカイブズや近代史といったものを学んだことがありませんので、一地方公共団体の一職員の素朴な感想として記させていただきます。

 渡邉佳子氏は京都府の行政事務に従事後、京都府立総合資料館(現、府立京都学・歴彩館)で公文書のアーカイブズに携わってこられました。この間に、情報公開条例や個人情報保護条例と公文書館機能との整合について関係機関との調整に関わっておられたそうで、当時、アーカイブズの必要性について、歴史資料として保存し、活用するということ以上の説明ができなかったことから、大学院でアーカイブズを学ぶことにされたということです。
 全史料協近畿部会第150回例会 ディスカッション1(フロアーから)
  ディスカッション1(フロアーから)

 渡邉氏の報告の内容を京都府立大学の小林啓治教授のコメントを引用してまとめますと、

 日本近代国家はアーカイブズ制度を実現しえなかった。しかし、大きな課題を残しつつも、文書管理の枠組みは現在まで実施されており、近代的アーカイブズの前提条件をなしているといえる。また、実現はしなかったものの、「記録課ノ処務ニ関スル建議案」を提出した内閣権少書記官小野正弘のようにアーカイブズの重要性を認識していた事例もあった。
 そして、戦時体制下においては、非常事態の中でも法令に基づく廃棄や文書の削減が行われ、その意味では文書行政を中心とした官僚制システムが作動していた。一方で、現場の機関や担当者の尽力により文書疎開が行われた事例もあり、この考え方が戦後の資料保存運動につながる。
 全史料協近畿部会第150回例会 ディスカッション2(フロアーから)
  ディスカッション2(フロアーから)

 私は今回、日本の近代国家における文書管理とアーカイブズへの認識の報告を、歴史の歩みに枚方市の現状を重ねながらお聞きしていました。
 枚方市では、はじめは文書担当課の承認のもとに、焼却前の文書から簿冊や行政刊行物を抜き取るだけのものでしたが、平成8年に廃棄文書の溶解再生処理が始まり、紙類とその他とを分別する必要が生じたことを契機に、保存年限満了の公文書の選別・収集を行っています。選別・収集は、廃棄決定した公文書の中から価値があると思われるものについて、市史編さんのため、歴史的文書として残すという考えによるもので、選別基準についても内規はあるものの歴代担当者の経験によるところが大きいものです。
 私もこの業務に携わる中で、アーカイブズの必要性について、歴史資料としての保存・活用以外の説明ができるのかと考えさせられます。また、地方公共団体の職員として、行政改革と事務の効率化が推進される組織において、資料の公開というアーカイブズへの視点は欠如していると日々感じるところです。
 このような状況は戦前期の日本においても同様であったことが今回の報告を聞いて解りました。まさに枚方市の文書管理とアーカイブズへの認識も、近代的アーカイブズへ向かって、少しずつ歩みを進めているところなのだと。

 渡邉氏は実務を学問にフィードバックさせたいという熱い思いを持ち、アーカイブズについて大学院で学ばれました。私もこのような研修に参加し、様々な実例や歴史、先進的な取り組みを学び、少しずつでも歩みを進めていきたいと思います。
 今回は貴重な機会をありがとうございました。

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